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のぼみ~日記2017たくき よしみつの日記2017


2017/03/10

拒絶の記憶


去年の今頃はこんな動画を作っていた……


前回の日記で、明石順三が「私は人を殺さない」「そのために権力に屈することはない」という信念を貫き、拷問を受けながら7年もの獄中生活を送った話を書いた。
その「拒絶」の壮絶さには到底及ばないけれど、僕自身、振り返れば人生のあちこちで、いろんなものを「拒絶」してきたなあ……と思い当たる。
極めて個人的なことではあるけれど、書き留めておこうと思い立った。

3歳:固定ド唱法

僕は1955年、福島市内の日赤病院で生まれたそうだ。当時、母親は福島大学附属中学校で養護教諭をしていて、同僚の音楽教師から「絶対音感」のことを聞いたらしい。絶対音感をつけるには3歳くらいまでが勝負で、小学校に上がってからでは完全に遅い、と。
それで、母親は僕に「絶対音感」をつけるために音楽教師でもあるカナダ人のシスターを紹介してもらい、修道院にまで通ってピアノによる音感教育を受けさせ始めた。僕が2歳10か月のときだったという。
当時の家は木造の長屋で、ピアノどころか、トイレもなかった。冬の雪が降るときでもトイレは外の共同便所に行かなければならなかった環境で音感教育を受けるために修道院まで通ったというのだから、母親が教育熱心であったことは間違いない。
しかし、1年経って、突然僕がその音楽教師のもとに通うことを断固拒絶したそうだ。
3歳のときのことなのでおぼろげな記憶しかないが、ピアノを弾かされるうちに、あるときから固定ド唱法を強要されたことで気持ちが悪くなって拒否したような記憶がある。
おそらく、それまでに移動ド唱法の相対音感が身についていたところに、ある日突然、ドレミをファソラと歌えと言われて拒否反応を起こしたのではないかと思う。

母親はそれでも諦めず、少し時間を置いた後、今度は僕を鈴木メソードのヴァイオリン教室に入れて通わせ始めた。
鈴木メソードは完全な移動ド教育で、色音符などというものも使っていた。ドは赤、レは黄色、ミは緑、ファはオレンジ、ソは青、ラは紫、シは白……に塗った譜面でメロディを覚えるというもの。当時の譜面が後に出てきたのだが、ヘ長調の曲でもFのところが赤、Gが黄色に塗られていた。
色音符は余計だと思うが、当時の鈴木メソードで徹底した移動ド音感教育をしていたことは間違いない。今はどうなのか知らないが……。
おかげで僕の音感は移動ド相対音感なのだが、それが音楽をやっていく上で年と共に孤独を味わう一因にもなっていく。この音感(メロディが移動ドのドレミで聞こえる音感)をもっている人は極めて少ないからだ。
移動ド相対音感の持ち主にとって、メロディはそれ自体が意味を持った文章のようなものだ。メロディをどう演奏するかは別の問題。
よい文章を書いても朗読や講演が下手な人がいるが、だからといってその人が書いた文章に価値がないわけではない。音楽を音としてしか聴かない人には、演奏の技術や音色の美しさが第一義なのかもしれないが、僕にとっての音楽は常に「いいメロディ」か否かが最重要課題だった。
もちろん、うまい演奏、きれいな音色、かっこいいアレンジであることは重要で、そのほうが感動するに決まっているのだが、そこには常にメロディが存在している。その価値を第一義に感じる音感……とでもいうか。
ドレミ……というラベリングの限界や、音階は長音階・短音階の2つだけではないといった問題を理解するようになるのはずっと後のことだが、とにかく、僕の人生の一部は「音感」に支配されることになった。
母親は、絶対音感と相対音感の違いも分からない人だった。でも、メロディの価値という「証明できない価値」と向き合う原因を作ってくれたことには感謝している。

5歳:聖劇の主役

母親はただの教育熱心ではなく、「西洋かぶれ」の人だった。
自分が聖路加国際病院付属の看護学校で学んだことを誇りにしていて、日本聖公会に入信していた。そのせいで僕は幼児洗礼も受けさせられ(ちなみに洗礼名は「ヨハネ」だった)、幼稚園も聖公会付属の幼稚園に通っていた。
「聖愛幼稚園」という名称だったと思うのだが、以前から検索しても福島市内にそういう名前の幼稚園は見つからなかった。で、今日、改めて調べると、福島聖ステパノ教会にかつては幼稚園が併設されていたことが分かった。間違いなくそこだろう。
当時の記憶はいくつかある。
幼稚園にいたときに両親が離婚し、僕は母親のほうに引き取られたわけだが、ある日、幼稚園で「今日から添田くんは細野くんになります」とみんなの前で紹介し直されたのを覚えている。
ある日、途中入園してきた子がいた。大柄で、本当に同い年だろうかと思うような子だった。その子が給食の前のお祈りの最後にみんなで「アーメン」と唱えた後、一人で笑いながら「あーめんそーめんひやそーめん」と大声を上げ、こっぴどく叱られた。その子は翌日から来なくなった。
その幼稚園では希望者に小学校入学受験のための知能テストをさせていて、僕も受けていた。知能テストというのはある種の「慣れ」で点数が上がる。母親は僕の点数が上がっていくので喜んでいた。
クリスマスの催しでは、園児たちが「聖劇」をやらされる。3人の博士がベツレヘムの星を目指しながら旅をして、最後に馬小屋で誕生したイエスに会い、祝福する……といったお話。
その劇で、僕は主役ともいえるヨハネ(イエスの父親=キリスト教徒からすれば「養父」?)役をやらされた。ところが、親たちも招いたクリスマス会の当日になって、僕は舞台に立ちたくなくて、トイレに逃げ込み、中から鍵をかけて出ていかなかった。母親も幼稚園のスタッフたちもみんな困り果てた。母親は後々までその事件については恨みがましく語っていた。
練習のときはおとなしくやっていたのに、なぜ当日になって拒絶したのだろう。単に恥ずかしかっただけなのか、それとも当時からすでにキリスト教会の空気に違和感を感じていて、それが爆発したのか……。定かではない。

堅信式

幼児洗礼を受けた者は、物心ついてから、自分の意志で信仰を表明するための「堅信式」というのを受ける。僕は何年間にもわたって母親から堅信式を受けろと言われ続けたが、これは断固拒否し続けた。

10歳:固定ドその2

小学校は川崎市の公立小学校に通った。そこで4年生から鼓笛隊に入った。太鼓は5年生以上にならないとやらせてもらえず、最初は笛(リコーダー)からだ。
鼓笛隊の指導教官は父母たちから「あの先生はやり手だ」との評判が高かったT田先生(女性)。しかし、T田先生はもっぱら太鼓部隊の指導に忙しく、笛の雑魚メンバーたちは年輩の女性教師(子供の目からはおばあちゃんに見えた)が指導した。
最初にやらされたのは「軍艦マーチ」。テンポが速くて結構難しい。そこでそのおばあちゃん教師は「暗記しなさい。はい、レーシシシシドシララーソラーシラー」と何度も歌わせた。
これは固定ド唱法である。「軍艦マーチ」のメロディは、移動ドで歌えば「ソーミミミミファミレレードレーミレー」だから、最初は気持ち悪くてすごく抵抗があった。しかし、全員で「レーシシシシドシラ……」と歌わされるので、嫌々覚えてしまった。今でも固定ドでサラサラ冒頭部分をいえるのはそのせいだ。ちなみにレ(D)がソ(G)なのだから、Gスケールだったわけだ。
固定ド、移動ドについて意識するようになったのはこのときからだったかもしれない。

12歳:算数5の子は手を上げて

鼓笛隊の指導教官・T田教諭は、合唱隊も率いていた。6年生のとき、彼女は1組担任で学年主任。僕は4組だったから、直接顔を合わせることはなかったのだが、ある朝、T田教諭が4組の教室に入ってきて、いきなり「この前の通信簿で算数5だった子は手を上げて」と言った。
児童たちは戸惑ったが、そのうち3人が恐る恐る手を上げた。僕もその1人で、密かに好きだったM子ちゃんも入っていた。
T田教諭は「じゃあ、その3人は来週の月曜日、放課後に1組の教室に来るように」と言ってさっさと引き上げていった。
なんのために? まったく説明がない。なんだそれ……と、1組の子に訊いてみた。
すると、月曜の放課後は合唱隊の練習の日だから、きっと合唱隊に入れってことだよ、と教えられた。
後から分かったのだが、それまでT田教諭は自分が担当する1組の生徒だけで合唱隊を編成していたのだが、他の組の父母から「それはおかしい」と苦情が出たらしい。それで、他の組からも何人か集めるようにしたらしいのだが、小学校は担任が全教科を教えるので、他の組の誰が歌がうまいか分からない。それで「算数5の子」を集めることにしたようなのだ。
それを知って僕は猛烈に腹が立った。冗談じゃない。算数の成績と合唱に何の関係があるのか! 露骨な差別であり、間違ったレッテル貼りではないか。
僕は月曜日の放課後、周りから促されても一人断固1組の教室に行くことを拒絶して家に帰った。
好きだったM子ちゃんと一緒の時間が持てることにものすごく魅力を感じてずいぶん迷ったのだが、最後は「算数5の子」を集めるT田教諭への嫌悪感と反発のほうが勝った。
翌日、朝礼の先導のために鼓笛隊の一員として太鼓を下げて列にいた僕のところにT田教諭がつかつかとやってきて、「はい。今までご苦労だったね。無責任な子に太鼓はいらないね」と、僕から太鼓を取り上げた。
僕は全校生徒が見ている前で泣きじゃくりながら他の児童たちの列に入っていった。

これに関しては母親が学校に文句を言って、T田教諭はすぐに「変声期で悩んでいたんだってね。太鼓が待ってるよ」と言い寄ってきたが、僕は二度と鼓笛隊には戻らなかった。
変声期で高い声が出なくなっていたというのはついでの理由であって、あくまでもT田教諭のやり方が許せなかったのだ。でも、子供の口ではそのことをうまく伝えることができなかった。
母親には「算数5の子を選んで合唱隊に入らせることはおかしい」と何度も訴えたが、母親はそれについては「オマケ」だと思ったフシがある。なぜなら、母親の思考には、T田教諭のやり方に近いものがあったからだ。母親はその頃は教師を辞めていたが、母親の教育論にはしばしば差別的な思考が垣間見えた。
他のクラスの子全員(150人くらいいた)の歌を聴いて選抜するのは大変だから、算数5の子を選んでしまおうという発想は、母親には「理解できた」のだと思う。
この事件はとても後味の悪いものとして僕の記憶に長く残った。(60代になった今もこうして書いているくらいだから……ね)
もう一度太鼓を叩きたくてしょうがなかったし、僕が担当していた中太鼓のメンバーの中では僕がいちばんうまくて、他の子にも教えていたから、本当は鼓笛隊にとっても僕が抜けたことは損失だった。でも、T田教諭の下でまた鼓笛隊をやることは絶対に拒絶しようと心に誓っていた。

15~18歳:校則による髪型規定

中学3年くらいから、美意識が芽生えはじめた。校則では「前髪は眉にかからない。横は耳にかからない。後ろは襟にかからない」という髪型が決められていたのだが、僕はそれを守らず、高校3年までずっと学校の中では小さくなっていた。
特に体育教師との対立は今でも夢に見るほどのトラウマになっている。
高校1年のときには、「なぜルールを守らないのか」と言う体育教師に、「制服は家に帰って脱ぐことができる。でも、髪型は家に帰っても変えられない。24時間ずっと学校が決めた価値を押しつけられることになる」「校則といえども、個人の心の中、小宇宙にまで入り込み、価値や美意識を押しつけることは許されるのか」と反論したところ、相手の体育教師が目を白黒させていたのを覚えている。
高校2年のときの体育教師は卑怯だった。個人と個人でぶつかってくるならまだしも、「よしみつが髪を切るまではこのクラスの全体責任として体育の授業は1時間中全員走らせる」と宣言し、実際その通りにした。僕はクラスの中でさらに孤立した。
そのとき、一人だけ「俺はよしみつが髪を切ったら、もうよしみつじゃなくなってしまうんじゃないかと思うんだ」と発言して擁護してくれた工藤くんは、今、母校の校長をしている。
卒業式の前には、「髪を切らない限り卒業式には出させないし、卒業証書を渡さない」と教員会議で決まったそうで、担任からそう告げられた。
高校3年のときの担任は学校内では反主流派?的位置にいる人で、「私はこの学校の一教師として教員会議で決まったことをきみに伝えただけで、実際に切るか切らないかはきみの意志を尊重するからね」と言っていた。
卒業式の日はたまたまICUの入試と重なっていたので、どっちみち出られなかった。


……とまあ、子供のときの「拒絶の記憶」を少し掘り返してみた。

教育は難しい。
教育を施す大人の側が、自分の価値観をすべてだと思い込んで押しつければ、子供はそれ以上には育たない可能性も出てくる。
今、テレビで連日話題を提供している森友学園の理事長夫妻や、その教育方針に「感動した」と賞賛していた国会議員やら首相夫人やらの言動を見るにつけ、教育を勘違いしている人が教育に「熱心に」なることほど恐ろしいことはないと痛感させられる。すくなくとも、全体主義に戻っていく流れだけはなんとしても止めなければいけない。

たまたま、日本人の少年がモーグル世界選手権で初めて優勝という瞬間をリアルタイムでテレビ観戦していた



解説者として現地入りしていた上村愛子がとても印象的な表情をしていた。相変わらずかっこいいなあ





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『So Far Away たくき よしみつSONGBOOK1』

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